休日の終わりに

今日もまた一日が終わる。

今日は先日の土曜から代休含めての3連休最終日である。

といっても土曜は、出勤する可能性があったし、しかも一週間の疲れがピークに達していたのもあり一日中寝て過ごしてしまった。

なので活動したのは実質2日になる。


能動的な人生を送る


今週末はこのキーワードを頭の片隅において生活をしてみた。

自分の心に正直になり、能動的に時間を使い、嫌々するのではなく、自分がしたいからするという思いで物事に取り組めば、なんでもそれなりに楽しいことに気が付いた。

自分の一日、大きく言えば自分の人生を自分が管理していること、自分を動かすのは自分であり、自分をつくるのも自分であるということを気付かせてくれる。

これは今まで忘れていたことだ。

自分の選択に納得した、充実した時間を過ごせることに繋がる。

そして、自分のやりたいことをやるという、自分の欲求が満たされたことが妙に気持ちいい。

この意識は今後も持ち続けたいと思える大きな気付きであった。


しかし一方で、いつもと同じで、休みが終わる時に感じることは、翌日からの仕事への憂鬱と、休日への未練である。

充実してたこと、楽しかったこと、もっとあれもこれもしておけばよかったとの反省と、ごっちゃになって頭の中を駆け巡る。

世間でいう、サザエさん症候群というやつかもしれない。

毎週末こんなことを感じてしまうのは、平日をがむしゃらに生きていないからかもしれないし、仕事ができないことに対する引け目を感じるからかもしれない。

今日ふらりと立ち寄った本屋で、何気なく手に取った本に

「新人のうちは何も考えず、がむしゃらに目の前のことをやれ」

と書いてあったのを思い出す。

入社して一年目は自分のできることを増やしたくてがむしゃらにやったつもりである。

しかし、2年目になり、燃えつき症候群のような無気力感と、自分への期待に自分自身が答えられないことへの歯がゆさ、できない中でもがくことで徐々にやる気が殺がれていってしまい、今年の夏くらいからは、毎日のように仕事が自分に合っていないのではないかと考え、目の前の業務に身が入らない日々を過ごしている。

平日に自分の成長を感じられるような、充実した体験、時間を得られれば、その充実した気持ちのまま休日に入り、プライベートでもよい時間を過ごせ、その気持ちを保ったまま新しい週、新しい日々を過ごせるのではないかと思う。休日だけ充実しているだけではやはりバランスとしては十分ではないように思う。

しかし、なかなかそれができず、失敗を恐れ自分の心地良い環境から一歩外へ踏み出すことができていない。失敗を恐れ、怒られることを恐れ、周囲からの目を気にするあまり何もできなくなってしまい、結果今の自分ができることだけに注力し、成長とは程遠い時間を過ごしてしまう。

頭の中ではわかっているつもりであるし、そろそろ軌道修正をかけないと社内で本格的に荷物になってしまうし、何より、自分の思い描いていたなりたい社会人像からはどんどんかけ離れていってしまう。

ちなみになりたい社会人像といえば、毎日バリバリと仕事をこなし、臆することもなく新しいことにも挑戦し、だれからも頼りにされ、一目置かれるような、そんな人間を想像していた。

しかし、現実では、失敗を恐れ、できることなら他人の手を借りず自力でやりたいと思うあまり時間ばかりかかるし、そのせいで失敗もするし、周りの目が気になるし、コミュニケーションも十分に取れず、何を考えているのかもわからないような、そんな人間になっている。


どこで道を間違えたのか。


最近はそんな言葉が頭をかすめる。

小さい時は、それこそ失敗をしても何も苦にならなかった。周囲の目なんて気にならなかったし、それこそ自分の思うとおりに生きてきたように思う。しかし、中学3年くらいの、周囲よりも勉強ができることをアイデンティティと感じ始めたころから、失敗を恥ととらえ、なかなか前にでて何かに立ち向かうことを恐れてしまったように思う。勉強ができるのにこんなのも知らないのか、できないのかと、そう思われるのがひどく嫌だったのだ。

高校は成績は上の中から下のあたりにいて、周りが自分よりできることが当たり前だったから素直にそれを受け入れることができたが、それでも皆の前で答えられないときなどは、顔から火が出そうなくらい熱くなり、血が巡るのがわかった。

さらに、大学に入り、自分に対し、しっかり者で明るく頼られるキャラクターがサークルで出来上がるにつれ、授業では顔を合わせないメンバーとサークルの時間を過ごすなかで、そのイメージを損ないたくないがために失敗を恐れ、弱音なんてごく限られた人にしか見せない人間になってしまったように思う。

そして、研究室に入り、指導教員からの圧力に日々気をもみ、小さな失敗でさえも過大に叱責されるような環境が自分を委縮させ、さらに自分を内なる殻に閉じ込めてしまったと感じる。

内向的な性格はここで完全に形成されてしまったように感じる。

カウンセリングにでもいけば、今はもうそんな環境や人と一緒ではないのだから気にせず自分らしく振舞い、新しいキャラクターを構築していけばよいと言われそうなものである。実際に、自分が相談される立場にあっても同じことを言いそうである。誰も過去の自分を知らない。新しい自分をつくっていけばよいのだ。

ただ、それでも自分の殻から外に出ることができないのは、きっと、自分の中の弱さがそうさせているんだと思う。明日こそは、今週こそはと思うがなかなか殻から外には出られない。失敗した時のイメージが付きまとい払拭できない。

失敗、叱責、委縮、失敗、叱責、委縮・・・・

いつの間にか、この負の連鎖の中から抜け出せなくなっている。

何をしてもだめかもしれないという思いと、いったい自分はなにをやっているんだろうという思いが日に日に強くなる。

一方で、こんなはずではなかった、やればできるはずだという思いが内面からまだ心の芯には残っている。

自分が変わらなければ何も現状は変わらないのではないか。

ネガティブな感情に飲み込まれてしまうのも自分の人生だし、そこに立ち向かい、克服し、明るい自分を取り戻すのもまた、自分の人生である。

今のままでは、周囲はただのできそこないの社員としか見てくれない。

いい大人なのに何をしているんだろう。

しっかりしなければ。