いつのまにやら

気付けば社会人になっていた。

すでに2年目も折り返しにきている。

ここに書く気になったのは

昔に感じた事をふと思い出したくなって読みに訪れて

今と昔の2人の自分に大きな乖離があることに改めて気付かされたから。


今までのエントリーを読み返すと

どうしてこうも過去の自分が希望に満ち溢れていたのか

その原動力、モチベーションとはなんだったのか

その根源が全く思い出せない。


今の自分は、日々の生活に追われ

慣れない仕事、人間関係にあがきながらなんとか

一日、また一日とその日をこなしている。

日々の仕事は溜まっていくばかり。

簡単な仕事すら先延ばしにし、毎日逃げるように家に帰ってくる。

周りの目ばかりを気にしするくせ、いつになっても甘さが抜けない。

簡単に言えば自分が一番かわいいのである。


そしてなんとか一週間を乗り切った後の週末は疲労で寝て過ごすか

何の目的もないまま街をぶらつき、気付けば日曜も夜になっている。

そして日曜の夜は決まって憂鬱な気分になる。

何に憂鬱になるか細かく考えたこともあるが、原因ははっきりしない。

週明けに持ち越した溜まった仕事、人間関係、漠然とした将来への不安、

仕事への適性、これから自分はどうなりたいのだろうか、

そして、なんのために生きているのか。

だいたい考えることは毎週末同じである。

にも関わらず気が付けば明け方まで眠れない。

いや、少しでも眠れただけマシかもしれない。

寝ずに仕事に行くことなんかもここ最近は増えていったように思う。

睡魔に襲われてもなお、考えがまとまらず、堂々巡りが続く。

答えなんか出ないが、いったん家を出て仕事に向かえば

なぜこんなことで悩んでいたのかと思うほど切り替わったアタマも

先週あたりは一週間一日たりとも切り替わらず、

一刻も早く帰りたく、気持ちが仕事モードに切り替わらない。

夏から顕著になったこの現象はかれこれもう3カ月になった。


最初はなんとなく月曜になるのが嫌で、

それに抗うかのように夜更かししたのがきっかけだった。

それが今では日曜の昼過ぎにはすでに憂鬱になり

休みが終わるのを考えるだけで胸が苦しくなり、

胃が何かに掴まれたように縮み上がるようになっている。


何が原因なのかとネットで原因を探せば、鬱だとか、診療内科、

自己憐憫パニック障害アダルトチルドレン自閉症

内向的性格、パーソナリティ障害などなど、穏やかではない単語が並ぶ。

現状を改善しようとさらにネットサーフィンを続けると

やれポジティブに生きようだ、やれ運動しようだ、

やれやりたいことをしようだ、やれ充実した一日を過ごそうだなどと

日曜の夜だけではどうしようもないことばかりしか見つからない。

なにかこう、一気に現状が改善するような「何か」があればいいのだが

そんなものは見つかったためしがない。


自分なりに答えが出ているとするならば、それは、

自分を見ていてくれる人が必要

ということになりそうである。

家に帰れば暖かく迎えてくれ

その日に感じた事をしっかりと聞いてくれ

一日の労をねぎらってくれ

嫌なことがあっても笑って励ましてくれ

寝付けない日にはその温もりで包んでくれ

朝になれば優しく送り出してくれる。

そんな人が必要なのである。

こうも書けば母親の元を離れられない甘えた子どもの様だが

実際にこうなのだから仕方がない。

心の拠りどころとなるような人、この人のために生きると思えるような

そんな人が必要なのである。


考えてみれば過去にも、少年期を懐かしみ

郷愁に思いを馳せる日々が続き、大学2年になった頃は顕著であった。

基本的に精神的に幼いのだろうと思う。


無いものねだりというわけではないが、それに加え、自分には

責任感も、緊張感も、自覚も、大人として持っていなければいけない

それら感覚が欠如しているようである。

やはりこの人のためなら自分は恥をかこうが、怒られようが、

どんなに苦しい思いをしようがどうなってもいいと思えるような

そんな人が必要なのである。


そろそろ夜が明ける。

外が少しずつ騒がしくなってくる。

暗かった窓の外が少しずつ白んでくる。

いつまでも夜が続けばいいのにと思うのと同時に

月曜が始まることへの焦燥感が全身を巡る。

こんな生活をしていてはいつかは身体を壊すし、

一日一日を精一杯生きていかないと夢描いているような

幸せな家族生活を築き上げることはできない。

そんなことはわかっている。

わかっているが、それでもできないもどかしさや不安、苛立ちを

だれにも打ち明けることのできないまま

また一週間をやり過ごすことになりそうである。