自分の人生の主役になる

前回のエントリーで

能動的な人生を送る

という目標を挙げた。


今週の自分を振り返る。

今週の自分はどうであったか。

自分は、自分の人生を生きているのか。

自分の人生の主役になっているのか。

自分のための人生であるということを意識、自覚しているのか。


答えはYesが半分、Noが半分であった。

仕事のことになるとやる気がからっきり殺がれてしまう。

さらには、週末の余暇時間も自分の思ったような時間の使い方をできず

だらだらと時間を浪費してしまった。

だがその中にも、自分のやりたいことを素直に行動に移せたこともあった。

だから答えは半分ずつである。


先週、上司に呼ばれ最近の仕事ぶりについて面談を行った。

自分がうまく仕事をこなせていないこと、車中泊を繰り返していること、

とにかく疲弊していることなど、ある程度普段から感じていることを

伝えることができた。

面談の中で上司は、仕事が私生活の充実のためにあることを話してくれた。

より良い生活をするために仕事をする。

だからこそ、仕事がすべての生活になり、擦り減ってしまっては

どうしようもないと話してくれた。

普段会社でしか顔を合わせない人にもしっかりと家族があり、

週末は一人の夫や父として過ごしているのを忘れていた。

そこに気付かされると、なんだか同じオフィスで働く社員が

きちんと、血の通った人間であるということを再認識することができた。

そして、自分の中に溜っているものを吐き出せたのもあり

面談後はなんだがすっきりとした気持ちになった。


話がそれたが、この上司の話にもあったように、人間は、基本的には

自分の私生活のために仕事をしているのである。

いつの間にかそんなことは忘れ、会社のために働くことがすべてのように

考えてしまっている自分がいた。

プライベートでは残った仕事を片付け、月曜からの仕事に備えなければ

ならないという意識が強すぎた。

もちろんそういったことが必要なときもある。

しかし、休日は休日である。自分の時間であると割り切らなければ

いつまでたっても頭の中に仕事のことが残り、

こんなことをしている場合ではないのではないのかという

一種の強迫観念の様なものに追われてしまい

目の前のことを楽しむことができない。

どこかで何かに楽しむことができなければ

それは人生を楽しんでるとは言えない。

それは自分以外の誰かの人生のために生きていることになってしまう。


自分を一番に考え、自分のために戦い、自分の立場を守り、

自分が心から満足できるような行動をとり、その行動に

責任と納得を持てるようになることが

自分の人生を生きる上で大切だと気付く。

自分は普段から誰かの意見を仰ぎ、特に目上の人の意見であれば

疑うことはなく信じ従ってきた。

自分のために自分で選択するという経験が非常に少なかったのである。

だからこれらを実行するにはきっと想像以上の努力が必要になってくる。

それでも少しずつ取り組んでいかなければならない問題である。

それが自分自身のため、自分の人生のためなのだから。


例によってこんな時間まで眠れずにいるが、なんとか今週の日曜にも、

自分の中のモヤモヤに自分なりの答えを出すことができたと思う。

少しずつでもいいから、一歩一歩着実に現状を改善していき、

今までの精神状態を取り戻したい。